オリンピック関連の問題に食傷気味な中、ファンの大切さと危うさを思う

連日オリンピックにからんで新国立競技場がどうだとか、エンブレムがどうだとか騒がしいですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。 

最近すっかりオリンピックの話題も食傷気味です。 出てくる話はネガティブな話ばかりで、大会の開催自体大丈夫か?と思ってしまうところです。
あと5年しか無いのに、こんな状態でいいんですかね?
きっと裏側では粛々と準備をしている人たちはいるんでしょうけど。

そんな中、自分がやってるゲーム関係の仕事と照らしあわせてみて、「ファン」って大事だなと思ったそんなお話。



新国立競技場の件について、費用がかかりすぎというのはかなり前から話が出ていたにもかかわらず、対応が遅れて余計に問題が大きくなりました。
その中でも常に感じていたのが、「なぜ多額の費用を投下してもその設備が必要なのか?」が誰も説明しないのはなぜなのかという点です。
「こういうことをやりたい、だから必要なんだ」というのを説明し、訴える人が誰もいない。
だから誰も賛成できないし、認められない。「ファン」が出来るはずもないです。

エンブレムはそれがさらに複合的に効いていました。
そもそも新国立競技場の問題がこじれた時点で、世間からオリンピック組織委員会自体が「悪の枢軸」扱いになりつつあった気がします。
要は味方となる「ファン」なんて、最初からいなかった。

そんな中発表されたエンブレムは、パクリかどうかは別としても、色合いや形に華やかさがないと世間一般からは評価され、「ファン」をあまり得られなかったように思います。

ここで「ファン」が得られていれば、パクリだとベルギーのデザイナーが訴え出てきても、「ファン」が逆にベルギーの方を潰しにかかっていたかもしれません。
でも実際は「ファン」がおらず、全く逆だったため、みんな「悪の枢軸」である組織委員会に攻撃をはじめました。
相手は「悪の枢軸」なので、遠慮は要りません。
擁護する人はみんな「悪の枢軸」の手先なので、彼らにも容赦は要りません。
そうやってエスカレートした結果、デザイナー個人への誹謗中傷や嫌がらせにまで発展したように思います。

作品に対する批判は構いませんし、パクリがあったものについて批判や法的手続きを取るのも構いませんが、私刑やイジメ、ダメ、ゼッタイ。(これにリンクしたかっただけ)

考えてみれば、今回の東京オリンピック自体が「ファン」をうまく獲得できてなかったように思います。
実際自分も東京オリンピックやらなくていい派でしたし。
結局「夢」や「ビジョン」を共有できないと、どんなイベントや組織も上手く動かないんですね。

今回の件も「ファン」をうまく作るように準備していれば、新国立競技場も大金がかかろうとも作られていたかもしれませんし、エンブレムもそのまま使われていたかもしれません。
そう考えると「ファン」の大切さをしみじみ感じますが、一方、危うさも感じます。
「衆愚政治」なんて言葉もありますが、「ファン」が多くなると、その向かう方向が間違った時にとんでもないことになる可能性もあります。

このあたりは色んな意見があると思いますが、会社経営でよく言われるように、やはり「トップ」が「ビジョン」を示し、それを周りが支えていくしかないように思います。
その点では「民主主義」ではないのかもしれませんが、こういうプロジェクトを動かすような場面では「民主主義」がうまく機能しないのではないかと思います。

オチも結論もない、そんなところで、今回はここまで。

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